オリジナルコントのブログ

オリジナルコントの脚本

日々思うこと②

人間関係について
 
 人は一人であって一人ではない、多くの悩みは他人や物に必要以上に執着する事で生まれる。
 だから本質的には人は一人なのかも知れないが、やはり私は死ぬ時には大勢に見送られる方が良いと思ってしまうから完全には人は一人では無いと思う。図々しい話である。
 つまり人は一人では人生を完成させることは出来ない。
 にもかかわらず、誰かや何かに執着してはいけないというある種人生とは、人間関係で思い悩む刑を課されているのかも知れない。


 人は一人では生きられない、だからこそ人間関係というのは、人の人生にとって一大事であると思う。
 アルフレットアドラーなどは人の悩みの全ては人間関係であるとまで言っている。
 彼は自分の身にどんな悲惨な事が起ころうとも、それは他人と比較して感じる幸、不幸感なのであり、仮に人間が地球上に自分一人だけなのであれば、その人の幸不幸の概念すら崩壊すると言っている。
 確かにそうかも知れない、何不自由無く生活していても、どこかで誰かが、例えば国の税金で楽に暮らしているなどといったモラルを欠いてでも得をしようとする人がいたり、社会悪的な話を聞くと負の感情が不思議と沸き起こってくる。
 この負の感情が起こるのは基本的に人に対してだけである。
 例えば誰かが人を勝手に殺戮するロボットを作ったとしてそのロボットが多くの人を勝手に殺害したとする。
 被害者の負の感情はロボットではなく、製作者に向かれるだろう。
 また凶暴な動物を誰かが飼っていて目を話した際に、その動物が誰かを噛み殺したとすれば、殺された側の負の感情は動物よりも飼い主に向かれる。
 それはその製作者や飼主が享受していた幸せやメリットが有ったのだろうと考え、にも関わらずその犠牲をなぜ自分たちが払わなければならないのかと感じるからではないか。
 またアドラーは人が生まれてきた意味は、人間関係の中で生ずる課題を解決し、他者に貢献できていると自分が思える感覚を高める為だとも言っている。


 人が最も嫌うのが人であり、人が最も愛する存在が人である。
不思議なことに我々はそう作られている。
 では生まれた瞬間から、死ぬときまで、いつまでもずっと人に囲まれていれば幸せなのだろうか?
 人によってはそれが一番の幸せあると答える人もいるだろうし、たまには一人になりたいと思う時があるという人もいるだろうし、私はずっと孤独に生きていたいと思う人もいるかも知れない。
 それは人それぞれだから、好きにすればいいと思うし、その人の過去に起こった事から判断している訳だから断言できる答えも無いと言える。
 しかしそう思えるが、どうすれば良いのだろうと考えてしまう。
私が思う事は、例えばホームレスでも友達はいるという事だ。
 むしろ同じホームレス仲間に囲まれていたりする。
 一般人と同じようにホームレス同士助け合う事によって利益もあるだろうから、自然にコミニュティーが作られる事は納得できる。
 特に気になる事はわざわざ都市部の人通りの多い場所の地面で寝ていたりするホームレスだ。なぜわざわざ行き交う人にジロジロ見られる場所にあえて身を置くのか、不思議でたまらない、私が同じ立場になったとしてもなるべく、人がいない場所に行きたいと思う。


 つまり私が言いたい事は、人はどんな状況になっても、どれだけ落ちぶれようが、友を求める限り決して一人ではないということだ。
 むしろ一人切りになる方が難しいとも言える。
では多くの人と常に一緒にいる事は果たして有用な事なのであろうか?
 あくまでも人それぞれの価値観だと思うが、自分を成長させたい、身分を高みへ上げたいと思う人は一人の時間を持った方が、良い部分も有るのかもしれない。
 それはつまり、一人の時間を作った方が自分と向き合えるからだろう。
 では自分と向き合うと何が良いのかというと、やはり自分の生き方が分かる、自分の性質が分かるという事は言えるのではないだろうか。
 全てのスポーツマンがスプリンターになれるわけではない、全ての科学者がノーベル賞を取れるわけではない、むしろ解説者になったほうが、研究をするより向いてる人もいるだろう。
 同じ一つの分野でさえこれだけ長所、短所が分かれるのだから、人類的に言えば、より複雑により広く人の性質は遺伝的に分けられているのであろうと思う。
 その性質を無視すれば、自分が生まれてきた必然性さえも疑わなくてはいけないのである。
 例えば西郷隆盛や岩倉具視など島流しや都落ちから帰ってきてから急に大きく成長を遂げている偉人は本当に多い。
 それは一人になることで思索を深め、ある種の悟りを得られるからなのではないだろうか。


 やはり他人や敵を知る以上に自分を理解するのは人生にとって大切な事であるようだ。
 もちろん多くの人に囲まれている方が自分と向き合えるという人もいるかも知れないし、アドラーが言うように人は人の中でこそ磨かれるのであるとも思し、本当に偉大な事はやはり一人では出来ない…しかしより素晴らしいと思える人と出会う為、より素晴らしい自分で、より素晴らしいコミュニケーションを取るために、孤独な時間をあえて作る事も必要なのかもしれない。
 それは今の時代一人になっても、人と繋がっていられるからである。それは未来に会う人かもしれないし今の友人かもしれない。
 人生とは自分の中の宝物を探す旅路なのであり、自分の中の宝物を掘り当てた人間は他者の中にある宝物にも気付けるのである。