日々思うこと③
自殺について
私は自殺は絶対にしてはいけないとは思わない。
それは自殺というのは人に与えられた自身の人生を終わらせるというある種の権利であると思うからだ…。
例えば宗教をかざして自殺を否定する事は出来るが、理想だけで片付けられるほどこの問題は一筋縄ではいかない。
例えば幕末の明治維新のように国家に大きな変革をなす場合は、自分の命をかけなければならないし、病気により長い闘病生活を選ぶより、自分の意識がはっきりしている時に尊厳死を選択する事もあると思う。
切腹、自決、尊厳死、自殺、個人が自ら死を選ぶという事に限れば同じ事の様に見えるが、印象的には全く違う物の様に思える。
だからこそ、私は昔から苦しまずに死ねる様な例えば拳銃などを所持し、常に死を意識出来れば、人生をもっと大切に生きれるのではないかとずっと思っていた。
しかし昨今ニュースを見ていると、そもそもそんな事が理由で自殺する必要は無いのではと思える事もある。
日本で初めて新聞を発行した人物は、12歳の頃自分が乗っていた江戸行きの船が沈没し何十日も漂流した挙げ句、当時国交もないアメリカの船に救助されなんとそのままサンフランシスコに連れて行かれたという。
助けられたのは良かったが、彼は船上にいるアメリカ人が自分を食べるのではないかと本気で恐れたそうだ。
そこから英語やアメリカの風習、文化、歴史をアメリカで必死で学び、成人してから日本に帰っては来れたが生涯戸籍上日本人にはなれなかったという。
こんな事を言っては不謹慎だと思うが、彼の人生に起きた事を現代の感覚で考えれば何度自殺すれば良いのであろうか。
一面的な味方ではあるが、どうやら昔に比べて食料や衛生面、医療の改善、戦争、内乱などがなくなったせいか人が自殺を考えるハードルが低くなっている様に思える。
昔は日々生きるのにただ必死で自殺など考えなかったのだろうし、わざわざ自分で自殺しなくても他に死ぬ要因が有りすぎて馬鹿らしくなったのかもしれない。
その証明として先進国より発展途上国の方が自殺率は低い傾向にある。
もちろん彼は幼少の頃だったからまだ柔軟性があったのかもしれなし、また今まさに悩んでいる当人にとってはそんな「問題じゃないんだ」と言われるかもしれないし、世の中でどんな事が起ころうが、自分の悩みが一番と言うのが人の性だと思う。
世界中で他人がどれだけ苦しもうとも、自分に関係するかどうかが問題である。
いやむしろ、「遠くの国で戦争が始まりました」「大規模テロが起きて人が大勢死にました」というニュースが流れたら、少しわくわくしてこないだろうか?少なくても報道する側はそう思って取材しているはずであるがそういう感覚が人にはあると思う。
話を戻すと、どうやら自殺というのは過去に起こった事よりも未来に起こる不幸に絶望して引き起こされるように思う。
特に女性はコミュニティを大切にするから、多くの人に批判される事には非常に弱い部分がある。
また男はある高い地位から転落するような事に弱さがあるように思う。
どちらにも恥や絶望、恐怖感があると思う。
また最近ではSNSなどで人を批判して自殺に追い込む人までいるという、そこまで行くと、もはやこれは殺人である。
つまり自殺ではなく殺人なのである、そう思えば自殺する人も思い直すきっかけにならないだろうか?
弱肉強食な部分もこの世界にはあるから、思い悩むこともあるし、こんなに苦しいなら死んでしまった方が楽かなと思えることもある、しかし私は最後まで戦って欲しいと思う。
つまりどこかの誰かにどんな理由かは知らないが殺されてはたまらないとそう思って欲しい。
負けすぎてもう戦えないのならその思いを、そのまま多くの人に伝えて欲しい。
それすら恥ずかしいならもう仕方がないが、自殺するのはその後でも良いと思う。
自殺を一度でも考えた事があるものからすれば、絶対に自殺はしてはいけないなどと言われれば、窮屈でたまらないと思ってしまう。
人の命はその人本人の物だけでは無いが、その人生を生きていくのはその本人しかいない。
それに人それぞれ死生観などたとえ家族であっても違う為、軽々に言うことは誰にも出来ない。
そもそも自殺を一度でも考えたことの無い人なんてこの世にいるのだろうか?人それぞれ差はあると思うが、私はいないと思う。
例えば深刻な感じではなく、最高の瞬間に今なら死んでもいいかなと思ったりする事や、昔の武士が何かあれば切腹して責任を取ればいい、などとも思っていたと思うがそういった事を含めると私は自殺を考えた事の無い人は言わないだけで、この世にいないと思う。
私は人生を完成させる為に自殺という手段を選ぶ人がいても賛成は出来ないが気持は理解できてしまう。
ただそういう人は大体が真面目で完璧主義者になってやしないかとも思ってもしまう。
昔は30代が平均年齢だった時代がある。つまり30を超えたら男は自分の顔に責任を持てなどとも言われるが、昔の人からしたら現代人は30歳を超えたら、それ以降の人生はまさにボーナスタイムでありおまけの時間なのである。
別にどう生きたって楽しけりゃ良いじゃないか。
そもそも人は何故生まれるかといえば、それは親の性欲からだろう。
計画的に子作りをしている夫婦もいるかも知れないが、全てのリスクを考えて計算していたら子供なんて作れるだろうか。
生まれた後、辛い別れがあるかも知れない、お金はどの位かかるのだろうか。未熟児だった場合はどうするかなど考えれば切りがなく、真面目に考えれば考えるほど一生子供なんて作れないと思う。
ほとんどの子供は親の性欲からでしか生まれない。
そう考えれば、人に迷惑をかけない限り別にどう生きたって良いじゃないかと私は思う。
それから宗教家などに言いたいが、全ての人には使命がある、生きる意味や意義がある。などと言う事も簡単に言わないで欲しい。
どんなに頑張ってもそんな風に思えない人もいるし、そんな事言うから生きるのが辛くなり、生きる為に無理をするのだ。
人は動物を食べている、だからこそ全ての人が素晴らしい人間にならなければ行けない。
そんな事も言わないで欲しい、そもそも動物を生かし殺ししているのはそういった仕事を生業としている人が昔から勝手にしてるだけで、こちらからお願いしてるわけでも何でも無い。
本質的にはいつ死んだって本人次第で良いじゃないかと私は素直に思う。
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