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日々思うこと④

天皇陛下について


 天皇の天皇足る所以とは何か、それは一言で言うなら歴史なのだと思う。
 男系男子という一つの法則、一貫した規則やルールに乗っ取った血統の歴史こそが天皇なのだと思う。
 もしこの歴史が無ければ、極論を言うと突然一般市民が「私は去年天皇になりましたので、よろしくお願いします」などと言われても、その様な者では幅広い国民の合意は当然得られないし、例え被災地に来られても、被災者の心には全く響かない。


 性格が良いとか、頭が良いとか、外見が良いとかそう言った次元では無く、2000年以上続く日本の歴史の結晶や、帰着こそがまさしく天皇なのである。
 国民が天皇にお会いして頭を下げるとは、2000年以上続く歴史そのものに感謝するという事であり、2000年以上一つの皇室を天皇として尊重し、守って来た、それまで生きて来た数多の日本人に感謝する事なのである。
 もともと人間というは、誰しもが何か途方もない存在に感謝したいと言う願望があるのかも知れない。
 私の経験上庶民から社会的に上に行けば行くほど、神や仏、宇宙の法則といった存在に感謝する人が多い気がする。
 それは部下や自分を信じ頼ってくれる者がいればいるほど、プレッシャーを感じ、何か途方もない存在に依存したい、そんな気持ちに例えリーダーでも、否リーダーこそなるのではないだろか…。
 話を戻すと、皇室に畏敬の念を捧げる事は日本人にしか出来ない、愛国心の表現であり、アイデンティティの表明なのだと思う。
 もっと本質的な事を言えば、これが一つの日本の統治システムであるとも言える。


 主権国家の統治システムには複数ある。
 一つは中国などが代表される、強い軍事力を背景にした独裁制である。
 一見日本人からしたら独裁国家なんてと思うかもしれないが、中国の場合は今まで何度も何度も、国家や王族が崩壊して来た歴史観を持っている。
 あれだけ陸続きの広い国土と、多数の民族と国民をまとめ上げるには、独裁制しかないと言う中国人の主張を私は理解出来る。
 一言で言えば国が大き過ぎるという事だ、しかし国力低下を招く為に当然一部の民族の独立は許されないという、板挟みにあっている状態なのだろうか…。
 2020年8月現在、中国はテクノロジーの進化によってその統治システムをより強化している。
 ただしかし、共産主義の独裁国家であるならば尚更どんな民族も分け隔てなく、国民を平等に統治すべきであるという事は言うまでも無い。


 二つ目はアメリカなどに代表される大統領制である。
 アメリカはまだ歴史的に若い国と思われがちだが、アメリカ建国の歴史はヨーロッパ諸国の王制に反対する、または王制から逃れて来た移民達が作った国であるというのがポイントになる。でなければ王制の国がアメリカの中で生まれてもおかしくないはずだ。
 王様がいないから国家元首を国民の中から選んで、4年~8年にわたり強い権限を一時的に持たせる大統領制になったのだと思う。まさしく期限付き独裁制である。


 では日本はどうか、日本は立憲民主主義制の国家である。
 憲法という、国家の権力者をも統治させる法律の親玉の様な存在が、事実上国の一番上にあり、政治家が作るどんな法律もこの憲法に完全に相反する物は作れないのである。
 しかし憲法というのは国家のスローガンとも言われ、ざっくりとした理念や方針の様な物しか書かれておらず、しばしば新しい法律が作られたり、法律が改正される際に反対する側は、憲法違反を理由にする事がある。
 天皇といえどもこの憲法の下に存在している訳であり、正しく日本は法治国家なのである。
 天皇という王様はいるが、あくまで権威の象徴という存在なのだ。
 つまり日本はこの権威の象徴と、権力の象徴である総理大臣との両輪で進んでいる国家なのである。
 権力者である総理大臣は実力社会である為、時代によってはころころ変わる事がある。
 しかし、権威の象徴である天皇は皇室としては一貫して変わらない。
 むしろ天皇を引退したいと天皇自身が思っても、憲法上簡単には引退させる事は出来ないなど徹底されている。
 私はむしろ、実力主義を排する所に権威は生まれて来るのだと思う。
 江戸時代の藩主や幕府将軍にはある種の権威があったと思われるが、実力主義を排し、血筋によって受け継がれる所にだんだんと権威が育まれるのだと思う。
 政治に答えなんて無い、誰がどんな政策をしようが、人が作る以上100%完全完璧な政策や法律なんて存在しない。重箱の隅を突く様に見れば、必ずどこかに批判される個所がある。
 故に天皇は政治に参加させてはいけないのである、これが歴史的に紡ぎだされた天皇を権力から守る答えである。
 もしかすると天皇は宗教の教祖の様な側面があるのかもしれない、宗教の教祖は抽象的な事しか言わずに、絶対に間違わないからである。


 もし日本に天皇陛下がいなければ、同じ民主主義(つまり共和制)で行ったとしても、アメリカの様な実力主義的な国家となっていたかもしれない。
 実力主義的な国家であれば、やはり国民の間で分断が生まれてしまう。
 民族、宗教、貧富の差、国家間の分断はありとあらゆる事が原因で起こる。
 分断の理由は国民として理念を共有出来ない事にある訳だが、一度国民間で分断が始まれば、それぞれ自分の主張に沿った情報以外入手しなくなる為に、その分断が埋まる事はなかなか難しい。
 実力主義というのは戦乱の時代に生き残るには良いのかもしれないが、平和な時代では余計な争いの火種になってしまう可能性が高いのではないか…。
 日本では、権力者である総理大臣は実力で決め、権威の象徴である天皇は誰がどんなに頑張ってもなれず、全ては血統で決まる。
 2000年以上受け継がれて来たこの歴史だけは変えてはいけないし、変えるのであれば、皇族制度自体無くしてしまった方が良いという意見も分かる。
 誰しも思う事だと思うが、頑張ってその地位を得た人に対して、素直に頭を下げる事など出来ないのである。
 それは自分の頑張りを疑う要因になってしまうからではないか。
 もし天皇という存在が、誰でも一番頑張った国民がなれる様な存在になってしまったら、こんな危うい存在は無く、自分も頑張ればなれたかも知れない、そんな存在に、素直に頭を下げる事など出来ないのである。
 政治がどれだけ腐敗しても、日本人が心を一つに出来る天皇陛下がいる限り、日本の決定的な分断は防げるはずである。


 天皇陛下の凄さを証明しろと言われても、ぱっと見は普通のおじさんであり、空を飛べるわけでもないからそれは難しい。いやむしろ見た目は普通なのにもかかわらず、多くの国民が尊敬できる所に本物の素晴らしさがある様に思う。
 これはまさしくホモサピエンスの特徴である様に思える。
 サピエンス全史で明かされたホモサピエンスの特徴の一つに、皆で幻想を信じて共有出来るという物がある。
 男系男子の血統を2000年以上もの間守って来たその律義さや、伝統を重んじる心に日本人というホモサピエンスは、幻想を抱き、信じ共有して来たのではないだろうか。