オリジナルコントのブログ

オリジナルコントの脚本

コント バイトの面接


   ボケ:三段落下がる行 ツッコミ:通常の段落の行 ()内は動き、擬音の表現


   ボケ(アルバイト希望者):あ、こんにちは。
ツッコミ(店長):はい。
   自分、本日14時からアルバイトの面接予定でした、ヨネダと申します。
ああ!君がヨネダ君か…時間ぴったりだね、あ、ちょ、ちょっとまってね…。
   はい…。
あ、こっちこっち。
   はい。
ちょっとごめんね汚くて、あと狭いけどまぁ入って入って。
   はい、あ、これ履歴書です。
あ、はいはい履歴書ね…え!?東京大学の学生さんなの?
   はい、今年入学したばかりの1年です。
へ~、でも東京大学の学生さんがなんでまたこんな汚い洋食店に?
   はい、昔から料理作るのは好きでしてアルバイトするなら調理の仕事をって探して
   たんです。
そう…珍しいね。
   この間ここのオムライス食べて、それで決めました。
え?ほんとに?…それは嬉しいけど、そんな美味しかったの?
   はい…。
でも東京大学なら勉強とかも大変なんじゃないの?
   ああそのあたりは大丈夫です。
何で?
   自慢する訳じゃないんですけど、自分今年の東大入試テストの全国一なんです。
ん?全国一?
   はい…今年満点は自分だけだったみたいなんで。
東大入試テストで…満点?
   はい…。
君が?
   はい…
え!?…すっごいね…。
   いえ。
ええ!?そんなやんごとない人が面接来てくれたのは嬉しいけど…いいのうちなんかで?
   はい、ここで働きたいんです。
ほんと?大丈夫?
   むしろ自分の腕だけで経営されてるお店だと、僕みたいなタイプは逆に敬遠される
   かなって思ってたくらいなんで…。
いやいやうちはもうほんと場末の洋食屋なんでね、特に学生さんのアルバイトなんかは凄く嬉しいんだけど…そんな優秀な人だって聞いて驚いてるし、ほんとに大丈夫?
   はい!是非雇って下さい!
そう…え!?まぁじゃあ因みにシフトなんかはどの位入れるの?
   週7日、平日は17時から閉店時間の23時まで。
…。
   土日は朝9時から23時まで入れます。
…え!?土日は一日中だし、平日だって6時間も!?…週7日ってどんだけ頑張れるの君!?
   自分の成績だとほとんど勉強しなくてももう主席で卒業出来るんで、4年間、大学
   院まで入れると6年間はそのシフトでいけます。
どうゆう事!?え!?嬉し過ぎて逆に怖くなってきたよ!?大学は何時からなの?
   朝9時からなんで平日は17時からしか出勤できません、本当にすいません。
いやいいよそんなの!朝9時からって夜まで働いてて睡眠時間とか大丈夫なの?
   あ、自分ショートスリーパーなんで、3時間位寝ればもう十分なんです。
え?…3時間でいいの?毎日?
   はい。
え!?何か借金があるとかそうゆうじゃないよね?
   いえ…父は医者で母は弁護士なんでかなり裕福な家庭で育ちました。
…そうだよな…それならむしろ時給800円の洋食屋なんかに来ないよな…あ、そうだ時給800円なんだけど大丈夫?
   はい大丈夫です。
ほんとに?
   はい…。
そっか…え?お母さんが弁護士でお父さんが医者なの!?
   はい、完全な強者連合です。
え?お住まいは?うそ田園調布!?
   一応…はい…。
え!?え!?お父さんがお医者さんなら同じ道進め!とか言われないの?
   はいなんで自分医学部です。
医学部!?医学部なの!?医学部ってだって学費だけでも何千万ってかかるんじゃなかったっけ!?
   はい。
勉強だって付いていくだけでも大変だって聞いたけどほんとに大丈夫なの!?
   ああ、自分最新の医学書も読み込んでて、論文ももう何個か出してるんで実力的に
   は博士号も簡単に取れるレベルなんで大丈夫です。
え!?そ、そんなレベルなの?
   はい…あ、ただ本当に申し訳無いんですけど。
え!?何?何?
   あの…。
え?何?…。
   大学3年の1年間はイギリスに留学が決まってまして。
留学?…うん、あ、じゃあその1年間は出れないね、そんなの全然大丈夫だよ気にしないで。
   はいすいません、なんでその時までにここの支店をイギリスでオープンしてその1
   年間はそこで働きたいと思います。
ん?何?ごめんちょっと良く聞こえなかった。
   えっと、大学3年までにイギリスにここの支店を出して留学中の1年間はそこでバ
   イトしたいと思います。
どうゆう事?え?何言ってんの?
   この店の味なら世界でも勝負出来ます!もう時間がないので今日から出勤させて下
   さい!
え!?だから何言ってんの!?支店なんて出せるわけ無いじゃん?しかもイギリスで!
   いや絶対出せます!
よく分からないけどイギリスってヨーロッパでしょ?洋食の本場じゃん?こんな日本の場末の料理で通用するわけないよ!!
   通用します!必ず自分が出してみせます!
どうゆう事だよさっきから!なんで君程の人間がうちの店の為にそうまでしてくれるんだよ!一体何を狙ってんだよ!
   店長…僕の事覚えてませんか?
…え?何?それ?
   本当に…覚えてませんか…。
え?もう怖い怖い何この展開…ちょっと…え…!?
   はぁ…覚えてないか…。
え、ちょっと待って会ってんの?俺達2人?
   …はい。
え!?あれ!?もしかして、俺が昔やってたボーイスカウトの子?
   …店長…。
やっぱりだ!
   違います。
あ、違うんだ!え!?
   ボーイスカウトはやった事ありません。
じゃあ何?あ…もしかして…昔…確か、冬の記録的な猛吹雪の日に、夜中玄関の前で寒さに震えて座ってた…あの子供か!?
   …。
薄着で玄関の前でずっと座ってるから、変だなって思って店の中に入れてあげたら、お母さんどっか行っちゃったって…それで確かあの時カツカレー食べさせて上げたんだっけ…君、嘘?…あの時のあの子なの?
   ……店長…。
やっぱりか!
   違います。
え!?
   そんな冬一度も経験してません。
え!?じゃあ何!?誰なの?君は!?
   覚えてませんか?
いやもう他に人に施した記憶とか無いよ!何なんだよ君は!?
   1ヶ月前、僕は大学の帰りにここでオムライスを食べたんです…。
…いやだからそれ最初に聞いたよ!!
   その時のオムライスが本当に美味しくて…。
普通の客じゃんかよ!何だよ!覚えてないよ!!むしろこっちが有難う御座いました、またのお越しをお待ちしておりますだよ!!!
   本当に美味しかったんです!
…そんな感動するほど美味しいわけ無いだろ!!こんな場末の洋食屋のオムライスが!!!
   本当です!じいやが作ってくれたオムライスより濃くが合って…。
じいやが作ってくれたオムライスの方が美味しいって!てゆうかじいやって何だよ!
   実家の執事と言うかなんというか…。
だろうね!もし美味しかったとしても、君がここまでする程じゃ無いよ!
   今は少しくたびれた感じがしますけど、レトロな感じは残しつつ、もっと本格的な
   料理も出せるように少ししたら改装しましょう!
何言ってんだよ!次から次へと!そんな金どこにあるんだよ!
   借りるか貯金すればいいんです!自分が計画立てますよ!
…もうなんかあれだな…何言っても通用する気がしてきたな…あのさ、もうこの際正直に言うけど実はこの店さ、借金が5億位あるんだよね…。
   ああ5億くらい全然大丈夫ですよ。
ええ!?大丈夫なの?
   はい、僕の計算で支店を増やせば1年で簡単に返せます。
ええ!?そうなの!?
   はい…。
あのさ…実は俺、9人も子供がいるんだよね…。
   ああ、僕が家庭教師すれば9人全員東大入らせれますよ。
え!?なんで!?
   全部僕に任せて下さい…。

日々思うこと③

自殺について 


 私は自殺は絶対にしてはいけないとは思わない。
 それは自殺というのは人に与えられた自身の人生を終わらせるというある種の権利であると思うからだ…。
 例えば宗教をかざして自殺を否定する事は出来るが、理想だけで片付けられるほどこの問題は一筋縄ではいかない。
 例えば幕末の明治維新のように国家に大きな変革をなす場合は、自分の命をかけなければならないし、病気により長い闘病生活を選ぶより、自分の意識がはっきりしている時に尊厳死を選択する事もあると思う。
 切腹、自決、尊厳死、自殺、個人が自ら死を選ぶという事に限れば同じ事の様に見えるが、印象的には全く違う物の様に思える。
 だからこそ、私は昔から苦しまずに死ねる様な例えば拳銃などを所持し、常に死を意識出来れば、人生をもっと大切に生きれるのではないかとずっと思っていた。
 しかし昨今ニュースを見ていると、そもそもそんな事が理由で自殺する必要は無いのではと思える事もある。
 日本で初めて新聞を発行した人物は、12歳の頃自分が乗っていた江戸行きの船が沈没し何十日も漂流した挙げ句、当時国交もないアメリカの船に救助されなんとそのままサンフランシスコに連れて行かれたという。
 助けられたのは良かったが、彼は船上にいるアメリカ人が自分を食べるのではないかと本気で恐れたそうだ。
 そこから英語やアメリカの風習、文化、歴史をアメリカで必死で学び、成人してから日本に帰っては来れたが生涯戸籍上日本人にはなれなかったという。
 こんな事を言っては不謹慎だと思うが、彼の人生に起きた事を現代の感覚で考えれば何度自殺すれば良いのであろうか。
 一面的な味方ではあるが、どうやら昔に比べて食料や衛生面、医療の改善、戦争、内乱などがなくなったせいか人が自殺を考えるハードルが低くなっている様に思える。
 昔は日々生きるのにただ必死で自殺など考えなかったのだろうし、わざわざ自分で自殺しなくても他に死ぬ要因が有りすぎて馬鹿らしくなったのかもしれない。
 その証明として先進国より発展途上国の方が自殺率は低い傾向にある。


 もちろん彼は幼少の頃だったからまだ柔軟性があったのかもしれなし、また今まさに悩んでいる当人にとってはそんな「問題じゃないんだ」と言われるかもしれないし、世の中でどんな事が起ころうが、自分の悩みが一番と言うのが人の性だと思う。
 世界中で他人がどれだけ苦しもうとも、自分に関係するかどうかが問題である。
 いやむしろ、「遠くの国で戦争が始まりました」「大規模テロが起きて人が大勢死にました」というニュースが流れたら、少しわくわくしてこないだろうか?少なくても報道する側はそう思って取材しているはずであるがそういう感覚が人にはあると思う。


 話を戻すと、どうやら自殺というのは過去に起こった事よりも未来に起こる不幸に絶望して引き起こされるように思う。
 特に女性はコミュニティを大切にするから、多くの人に批判される事には非常に弱い部分がある。
 また男はある高い地位から転落するような事に弱さがあるように思う。
どちらにも恥や絶望、恐怖感があると思う。
 また最近ではSNSなどで人を批判して自殺に追い込む人までいるという、そこまで行くと、もはやこれは殺人である。
 つまり自殺ではなく殺人なのである、そう思えば自殺する人も思い直すきっかけにならないだろうか?
 弱肉強食な部分もこの世界にはあるから、思い悩むこともあるし、こんなに苦しいなら死んでしまった方が楽かなと思えることもある、しかし私は最後まで戦って欲しいと思う。
 つまりどこかの誰かにどんな理由かは知らないが殺されてはたまらないとそう思って欲しい。
 負けすぎてもう戦えないのならその思いを、そのまま多くの人に伝えて欲しい。
それすら恥ずかしいならもう仕方がないが、自殺するのはその後でも良いと思う。


 自殺を一度でも考えた事があるものからすれば、絶対に自殺はしてはいけないなどと言われれば、窮屈でたまらないと思ってしまう。
 人の命はその人本人の物だけでは無いが、その人生を生きていくのはその本人しかいない。
 それに人それぞれ死生観などたとえ家族であっても違う為、軽々に言うことは誰にも出来ない。
 そもそも自殺を一度でも考えたことの無い人なんてこの世にいるのだろうか?人それぞれ差はあると思うが、私はいないと思う。
 例えば深刻な感じではなく、最高の瞬間に今なら死んでもいいかなと思ったりする事や、昔の武士が何かあれば切腹して責任を取ればいい、などとも思っていたと思うがそういった事を含めると私は自殺を考えた事の無い人は言わないだけで、この世にいないと思う。
 私は人生を完成させる為に自殺という手段を選ぶ人がいても賛成は出来ないが気持は理解できてしまう。
 ただそういう人は大体が真面目で完璧主義者になってやしないかとも思ってもしまう。
昔は30代が平均年齢だった時代がある。つまり30を超えたら男は自分の顔に責任を持てなどとも言われるが、昔の人からしたら現代人は30歳を超えたら、それ以降の人生はまさにボーナスタイムでありおまけの時間なのである。
 別にどう生きたって楽しけりゃ良いじゃないか。


 そもそも人は何故生まれるかといえば、それは親の性欲からだろう。
 計画的に子作りをしている夫婦もいるかも知れないが、全てのリスクを考えて計算していたら子供なんて作れるだろうか。
 生まれた後、辛い別れがあるかも知れない、お金はどの位かかるのだろうか。未熟児だった場合はどうするかなど考えれば切りがなく、真面目に考えれば考えるほど一生子供なんて作れないと思う。
 ほとんどの子供は親の性欲からでしか生まれない。
 そう考えれば、人に迷惑をかけない限り別にどう生きたって良いじゃないかと私は思う。
 それから宗教家などに言いたいが、全ての人には使命がある、生きる意味や意義がある。などと言う事も簡単に言わないで欲しい。
 どんなに頑張ってもそんな風に思えない人もいるし、そんな事言うから生きるのが辛くなり、生きる為に無理をするのだ。
 人は動物を食べている、だからこそ全ての人が素晴らしい人間にならなければ行けない。
そんな事も言わないで欲しい、そもそも動物を生かし殺ししているのはそういった仕事を生業としている人が昔から勝手にしてるだけで、こちらからお願いしてるわけでも何でも無い。
 本質的にはいつ死んだって本人次第で良いじゃないかと私は素直に思う。

日々思うこと②

人間関係について
 
 人は一人であって一人ではない、多くの悩みは他人や物に必要以上に執着する事で生まれる。
 だから本質的には人は一人なのかも知れないが、やはり私は死ぬ時には大勢に見送られる方が良いと思ってしまうから完全には人は一人では無いと思う。図々しい話である。
 つまり人は一人では人生を完成させることは出来ない。
 にもかかわらず、誰かや何かに執着してはいけないというある種人生とは、人間関係で思い悩む刑を課されているのかも知れない。


 人は一人では生きられない、だからこそ人間関係というのは、人の人生にとって一大事であると思う。
 アルフレットアドラーなどは人の悩みの全ては人間関係であるとまで言っている。
 彼は自分の身にどんな悲惨な事が起ころうとも、それは他人と比較して感じる幸、不幸感なのであり、仮に人間が地球上に自分一人だけなのであれば、その人の幸不幸の概念すら崩壊すると言っている。
 確かにそうかも知れない、何不自由無く生活していても、どこかで誰かが、例えば国の税金で楽に暮らしているなどといったモラルを欠いてでも得をしようとする人がいたり、社会悪的な話を聞くと負の感情が不思議と沸き起こってくる。
 この負の感情が起こるのは基本的に人に対してだけである。
 例えば誰かが人を勝手に殺戮するロボットを作ったとしてそのロボットが多くの人を勝手に殺害したとする。
 被害者の負の感情はロボットではなく、製作者に向かれるだろう。
 また凶暴な動物を誰かが飼っていて目を話した際に、その動物が誰かを噛み殺したとすれば、殺された側の負の感情は動物よりも飼い主に向かれる。
 それはその製作者や飼主が享受していた幸せやメリットが有ったのだろうと考え、にも関わらずその犠牲をなぜ自分たちが払わなければならないのかと感じるからではないか。
 またアドラーは人が生まれてきた意味は、人間関係の中で生ずる課題を解決し、他者に貢献できていると自分が思える感覚を高める為だとも言っている。


 人が最も嫌うのが人であり、人が最も愛する存在が人である。
不思議なことに我々はそう作られている。
 では生まれた瞬間から、死ぬときまで、いつまでもずっと人に囲まれていれば幸せなのだろうか?
 人によってはそれが一番の幸せあると答える人もいるだろうし、たまには一人になりたいと思う時があるという人もいるだろうし、私はずっと孤独に生きていたいと思う人もいるかも知れない。
 それは人それぞれだから、好きにすればいいと思うし、その人の過去に起こった事から判断している訳だから断言できる答えも無いと言える。
 しかしそう思えるが、どうすれば良いのだろうと考えてしまう。
私が思う事は、例えばホームレスでも友達はいるという事だ。
 むしろ同じホームレス仲間に囲まれていたりする。
 一般人と同じようにホームレス同士助け合う事によって利益もあるだろうから、自然にコミニュティーが作られる事は納得できる。
 特に気になる事はわざわざ都市部の人通りの多い場所の地面で寝ていたりするホームレスだ。なぜわざわざ行き交う人にジロジロ見られる場所にあえて身を置くのか、不思議でたまらない、私が同じ立場になったとしてもなるべく、人がいない場所に行きたいと思う。


 つまり私が言いたい事は、人はどんな状況になっても、どれだけ落ちぶれようが、友を求める限り決して一人ではないということだ。
 むしろ一人切りになる方が難しいとも言える。
では多くの人と常に一緒にいる事は果たして有用な事なのであろうか?
 あくまでも人それぞれの価値観だと思うが、自分を成長させたい、身分を高みへ上げたいと思う人は一人の時間を持った方が、良い部分も有るのかもしれない。
 それはつまり、一人の時間を作った方が自分と向き合えるからだろう。
 では自分と向き合うと何が良いのかというと、やはり自分の生き方が分かる、自分の性質が分かるという事は言えるのではないだろうか。
 全てのスポーツマンがスプリンターになれるわけではない、全ての科学者がノーベル賞を取れるわけではない、むしろ解説者になったほうが、研究をするより向いてる人もいるだろう。
 同じ一つの分野でさえこれだけ長所、短所が分かれるのだから、人類的に言えば、より複雑により広く人の性質は遺伝的に分けられているのであろうと思う。
 その性質を無視すれば、自分が生まれてきた必然性さえも疑わなくてはいけないのである。
 例えば西郷隆盛や岩倉具視など島流しや都落ちから帰ってきてから急に大きく成長を遂げている偉人は本当に多い。
 それは一人になることで思索を深め、ある種の悟りを得られるからなのではないだろうか。


 やはり他人や敵を知る以上に自分を理解するのは人生にとって大切な事であるようだ。
 もちろん多くの人に囲まれている方が自分と向き合えるという人もいるかも知れないし、アドラーが言うように人は人の中でこそ磨かれるのであるとも思し、本当に偉大な事はやはり一人では出来ない…しかしより素晴らしいと思える人と出会う為、より素晴らしい自分で、より素晴らしいコミュニケーションを取るために、孤独な時間をあえて作る事も必要なのかもしれない。
 それは今の時代一人になっても、人と繋がっていられるからである。それは未来に会う人かもしれないし今の友人かもしれない。
 人生とは自分の中の宝物を探す旅路なのであり、自分の中の宝物を掘り当てた人間は他者の中にある宝物にも気付けるのである。